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【コラム※本論とは関係ありません】あおり運転 私は警察に被害届の受理を拒否された経験がある

 8月18日、ここ数日、テレビを賑わせていた連続悪質あおり運転の犯人が逮捕された。しかし、常磐道あおり運転事件が日々報道されているのを見て、かえってあおり運転が増加するのではないかと不安になった。

今回の事件は様々に論じられているように、

 

①警察が本気で捜査したのは、メディアで大々的に報道されたから。

②全国に公開捜査を展開しても逮捕まで1週間を要した(どの段階で犯人を特定できていたのかは定かではないが)。

 

さらに、報道番組を中心にあおり運転について様々な検証がなされもした。

 

③あおり運転は、道路交通法の車間距離不保持に当たる(つまり軽微な交通違反でしかない)。

④あおり運転の対策として提案されているのは、異口同音に「逃げろ」「相手にするな」。

⑤あおり運転に関する裁判例が紹介されているが、加害者に科される損害賠償や罰金は低額。あまり重い法的措置はできない。

  

目次

  1. あおり運転が増えるのではないかという懸念
  2. 警察への不満はMAXです

   2.1 宮崎文夫容疑者の罪状と警察の対応のアンバランスさ

   2.2 私は警察にあおり運転の被害届を受理してもらえなかった

   2.3 警察官のアドバイス:それは「やり返せ」

   2.4 警察へのジレンマ

  1. 「○○の法則」であおり運転を考察する

   3.1 ヒヤリハットで常磐道あおり運転事件を考えてみる

   3.2 パレードの法則で常磐道あおり運転事件を考えてみる

   3.3ヒヤリハットとパレードの法則の結論

  1. あおり運転の取り締まりについて考える

   4.1 国家権力に望むこと

   4.2 自動車産業への影響はあるのか

5.  最後に

 

 

 

1. あおり運転が増えるのではないかという懸念

 

 これらを考察すると、次のことがわかる。本来、あおり運転の被害で警察は動いてくれない。もし、警察が被害届を受理しても、犯人は、ほぼ逮捕されない。また、あおり運転の被害に遭った場合、どうすれば加害者を逮捕してもらえるのかについて、明確かつ実行可能な自衛策が紹介されていない。私が最も知りたいのは、あおり運転をしてきた悪質ドライバーを逮捕してもらい、余罪を含めて徹底的に捜査し、刑務所に収監してもらうには、具体的にどうすればよいのか、ということである。しかし、その明確な解答は、メディアには存在していない。

 加害者にとっては、もし、あおり運転で捕まっても道路交通法違反で済む。万が一、訴えられても、低額の損害賠償で放免される。

 こうした負の真実を、今回の事件の報道を通して悪質ドライバーが認識してしまったら、今まで以上にあおり運転が横行するおそれがある。

 

 確認事項として、常磐道あおり運転事件の加害者である宮崎容疑者や、あおり運転が社会問題化するきっかけとなった2017年6月発生の東名高速夫婦死亡事故は、警察は、犯人をあおり運転の容疑者として逮捕したのではない。あおり運転は、暴行事件や死亡事故に繋がる一連の事件の一部としての位置付けである。メディアがあおり運転をクローズアップした結果、警察があおり運転に焦点を当て、捜査・逮捕したイメージが確立されているのである。現在、警察(及び検察)は、このイメージを後付けするように動いている。

 

 

2. 警察への不満はMAXです

 

 今回の事件の顛末について、私は強い不快感を覚えた。宮崎容疑者にではなく、警察に対してである。というのも、私自身、あおり運転の被害に遭遇したにもかかわらず、警察に被害届の受理を拒否された経験が何度もあるからである。にもかかわらず、今回の事件に関しては、全国に指名手配まで実施し、大勢の警察官が動員され捜査が行われた。この不公平感と警察捜査の恣意性について、この場を借りて公に語りたい。

 

2.1 宮崎文夫容疑者の罪状と警察の対応のアンバランスさ

 

 報道で大きく取り上げられているのは、宮崎容疑者のあおり運転である。悪質で執拗、色々な場所で多くのドライバーを危険な目に遭わせていた宮崎容疑者。だが、冷静にみると、現時点で明白な犯罪行為は、あおり運転と暴行だけである。これだけの罪状で、犯人の全国指名手配まで実施して警察が捜査するのはどう考えても「過剰捜査」である。この捜査態勢だと、連続強盗殺人事件の犯人逮捕と同じくらいの捜査体制だろうか。詳細はともかく、犯罪の内容と警察の対応が、この事件に関しては、あまりにもバランスを欠いている。

 

2.2 私は警察にあおり運転の被害届を受理してもらえなかった

 

 あおり運転の被害に遭遇した場合、どうすればよいのか。今回の事件をきっかけに、その対策方法を提案する記事がネットを中心に多く登場している。それらを、ごくおおざっぱにまとめると、次のようになる。

 

①直接的な被害に遭わないように逃げること

②相手の車やナンバー等を記録しておくこと

③警察に通報すること

 

 では③を実際にやってみたらどうなったのか、私のケースを紹介する。念の為に言っておくが、私のケースは、2004年~2014年頃の話である。この時期は、ドライブレコーダーが一般的になる以前であり、また、携帯電話の動画や写真の性能も現在ほど高性能ではない時期であったことを付け加えておく。

 

 あおり運転の被害に遭い警察に行く。そして追い返される。また、他のあおり運転の被害に遭う。仕方なく警察に行き、また同じように追い返される。こんなことが何度も繰り返された。当たり前だが、対応する警察官は、その時々によって違う。しかし、異口同音に、

 

あおり運転(車間距離不保持)は、現行犯でないと逮捕できない。

 

という。つまり、直接的な被害はなく、また、被害を受けている状況を現認できないので被害届が受理できないというのである。それなら、携帯電話やビデオカメラで動画を撮影してきたら事件として受理されるのかと質問してみると、

 

可能性はあるが、車間が詰まっている映像だけでは被害を受けたと認めるのは難しい。その状況の前後もはっきりわかる映像も必要になる。

 

こうした返答が、窓口対応の警察官から返ってきた。

 

 余談だが、次のような話も聞いたので記しておきたい。例えば宮崎容疑者の常磐道でのドライブレコーダーの加害行為の画像を例にとると、車線を変更する際、指示器を出していないし、急なハンドル操作を何度も行っている。また、高速道路上で、危険回避ではないににもかかわらず車を停車させている。これらは、個々の違反行為をそれぞれ別個の犯罪として扱うのか。つまり、指示器を出さずに車線変更を繰り返した回数を、個別の違反件数としてカウントするのかという疑問が残る。

 これに対して、私が受けた警察の回答は、全体を一連の違反行為とするか、個別事案とするかは、時と場合によるとのことであった。

 

2.3 警察官のアドバイス:それは「やり返せ」

 

 さらに、その当時対応に出た警察官の話の内容を2つ紹介する。ひとつは、次のような内容である。あおり運転は、車間距離不保持となる。しかし、これは軽微な交通違反なので、仮に被害を証明できても、せいぜい交通違反の罰金を支払わせる程度の結末になる。被害に遭うこと自体が損なので、あおられたら、さっさと逃げろ、というものである。確かに、被害者感情としては納得できないが、現実的なアドバイスではある。

 もうひとつは、次のような内容である。あおり運転の被害を特々と説明する私に対して、ある警察官は「あんたもやり返したらよかったのに」「相手があおってきたのなら、あんたは減速して(進路妨害を)してやったらええやん」と、あきれ顔で言った。そんなことをしたら、実際に事故が発生するだろうし、あおり運転のドライバーの暴行被害に遭うのは明白であると反論すると、その警察官は、それならあおってきた車に進路を譲るしかないと、私に言ってきた。勿論、これは、会話の中で出てきた警察官の言葉なので、会話全体の流れを無視して、この発言だけを問題視するのはフェアではない。しかしながら、この警察官の態度から垣間見える当局の本音は、あおり運転は「事件」ではない、という警察サイドの論理である。

 

 もし、本気でアドバイスを実行していたらどうなるか。当然、あおり運転の被害者は傷害事件の加害者へと転化してしまう。現実的に考えると、あおり運転の加害者は、総じて暴力性がある。車を停車させ、あおり運転の加害者と殴り合いになったら、ほぼ確実に、こちら側が大ケガをする。そうなったら、加害者は逮捕されるだろうが、こちら側が死亡したり後遺症を負うかもしれない。当然、損害賠償も支払ってもらえないだろうし、復讐に遭う可能性も高い。第一、暴力であおり運転の悪質ドライバーを黙らせられるのであれば、最初から警察には通報していないし、インターネット上でこんな文章を書いてはいない。それに、あおり運転をする悪質ドライバーは、自分より暴力的に見えるドライバーや車を、始めから煽ったりはしない。つまり、この「やり返せ」という警察官のアドバイスは、極めて無責任なものなのである。

 

2.4 警察へのジレンマ

 

 あおり運転の被害に遭う。何とかその場は逃げきって、付近のスペースに車を停める。携帯電話やカーナビで最寄りの警察署を探す。そして、そこへと向かう。警察署の窓口で、あおり運転の被害届を提出しようとする。しかし、警察官に様々な理屈を並べられ、被害届を受け取ってもらえない。あおり運転に遭っただけでも相当腹が立っているのに、今度は、こちらの思うように動いてくれない警察に腹が立つ。出掛ける予定を変更してまで警察に来たのに事件としてすら扱ってもらえない。結局は、泣き寝入りするしかない。思い切ったことを言うと、こうした警察の対応は、警察もあおり運転の共犯、あるいは加害者である。

 これは、先に述べた私の体験だが、実際には、何らかの予定があり、警察署へ出向いたり、警察に通報したりできず、悔しい思いをした人も多いはずである。ちなみに、軽微な犯罪の場合、警察に被害届を受理してもらえたとしても、その為には数時間~数日かかる場合がほとんどだし、被害届受理後も多くの場合、事件は放置される。軽微な事件は、身も蓋もないが、「やったもん勝ち」であり、警察は、全く役立たずである。いくらドライブレコーダーが普及しても、あおり運転を警察が取り締まらなければ、ドライブレコーダーの抑止効果は絵に描いた餅である。

 しかし一方で、いざという時は、やはり警察に頼らざるを得ない。私のような一般人は、今さら法律と格闘技の両方を極めるわけにもいかず、事件に巻き込まれた際は、警察権力に保護してもらうしかない。警察に反感を抱きつつも、その庇護に預かるというジレンマがある。

 

 

3. 「○○の法則」であおり運転を考察する

 

3.1 ヒヤリハットで常磐道あおり運転事件を考えてみる  

 

 宮崎容疑者は、今回の事件以外にも多数の事件を起こしていたことがわかってきた。また、この事件と似たような犯罪が、全国あちこちで発生していることも頻繁に報道されている。  

 ヒヤリハットとは、正式には、ハインリッヒの法則という。あるひとつの重大な災害の裏には、ヒヤリとするような29件の軽微な災害があり、また、災害には至らなかったが、ハッとするような災害の予兆的出来事があるということを表現した法則である。2005年4月に発生したJR福知山線脱線事故の際、メディアがJR西日本の危機管理体制を批判する為に用いたことで広く知られるようになった。

 

 今回、宮崎容疑者が起こした事件をハインリッヒの法則に則って考えてみると、次のような2つの可能性が浮かび上がる。ひとつ目は、常磐道で犯した事件の背後で、宮崎容疑者は、29件の犯罪を犯し、さらに、300件の軽犯罪を犯しているのではないかという可能性である。もうひとつは、常磐道あおり事件を筆頭に、どこかで、29件の悪質なあおり運転が発生し、さらに、300件のあおり運転が起きているという可能性である。実際に、常磐道の事件をきっかけに、宮崎容疑者の前歴や余罪、そして、全国各地で多発しているあおり運転の実態が、連日報道されている。ひとつの事件の背景には、多くの事件が隠れているのである。

 つまり、私が言いたいのは、ひとつの事件の後ろには、多くの被害者がおり、皆、泣き寝入りしているのではないか、ということである。

 

3.2 パレードの法則で常磐道あおり運転事件を考えてみる

 

 先述した通り、宮崎容疑者は、常磐道あおり運転事件以外にも各地で様々な事件を起こしている。誤解を恐れずに言えば、事件製造者、あるいは、犯罪メーカーである。

 パレードの法則とは、80:20の法則等と言われており、元々は経済現象を説明する言葉である。最近は、様々な分野で使用されるようになった。一般的な意味は、結果の8割は全体の2割からもたらされる、といったものである。例えば、ビジネスにおける売上の8割は、顧客全体の2割からもたらされているといった具合に用いられる。一部の人間が、成果全体の大部分をつくり出す、というイメージである。

 

 パレードの法則をもとに、あおり運転について考えてみる。すると、あおり運転の8割は、全ドライバーに占める2割の悪質ドライバーが犯人である、と推測できる。実際の割合はともかく、一部の悪質ドライバー(というか道路交通法に違反した犯罪者)が違法運転の常習者であろうことは想像に難くない。事実、宮崎容疑者は、あちこちであおり運転を繰り返していた。あおり運転が社会問題化したのは、2017年6月に発生した東名高速夫婦死亡事故がきっかけである。この事件の加害者であるである石橋和歩被告も、東名高速での事件前に、複数回、悪質運転による事件を起こしている。あおり運転だけではない。両者は、他にも日常的に何らかの事件を起こしていた。

 

 想像してみてほしい。宮崎容疑者や石橋被告が、休日にテーマパークやショッピングモールへ出かけたらどうなるのか。目的地までのドライブでは、あおり運転の他、割り込みやウインカーを出さない(合図不履行)、運転中に携帯電話を操作する等々を繰り返すだろう。現地に到着すると、駐車場待ちの車列に割り込む、駐車場内では、枠外スペースや身障者用駐車スペースを使用するものと思われる。もちろん、車中で出たペットボトル等のゴミは、車の窓からポイ捨てする可能性が高い。現地でも、何らかのマナー違反を複数回行うことが予想される。少なくとも、宮崎容疑者や石橋被告が、あおり運転以外は、マナーも法律も厳守する人物だとは到底考えられない。他の方が、インターネット上の記事で言及していたが、「宮崎容疑者を野放し」にすると、あちこちで色々な事件が起きるのである。

 

 確かに、先に挙げた行為は、一見するとどれも軽微である。だが、その軽微な犯罪があちこちで行われることで、多くの被害者が出る。しかし、個々の行為だけでは、その軽微さから、警察が取り合ってくれる可能性は低い。結果、多くの被害者が泣き寝入りしていることになる。

 

3.3 ヒヤリハットとパレードの法則の結論

 

 2つの法則から導かれる一般論は、次のようになる。少数の悪質者が比較的軽微な犯罪をあちこちで行っている。その被害者は非常に多い。しかし、個々の犯罪が軽いこと、そして、被害者が事件ごとに異なっているので、警察は本気で動かない。結果、被害者の大半は泣き寝入りせざるをえない現実が生まれる。

 軽微な犯罪への対処は、労力の割に成果も評価も低い。ゆえに、取り締まりに消極的である警察の事情も理解できる。しかしながら、そうした姿勢が、悪質ドライバーを増長させ、今回の事件をはじめ様々な犯罪の誘発につながっていると推定できる。

 

 スペースの関係上、詳述は避けるが、1件の軽微な犯罪の背後には数々の事件が存在しており、各々の事件の累積は、交通安全のみならず、経済活動、医療・福祉等の社会保障、教育問題等々、あらゆる面で日本社会を脅かしている。その脅威は未来に向かって増大している。悪質ドライバーの撲滅は、単なる交通違反の取り締まりではなく、日本社会の安全を保守する為の喫緊の課題である。

 

 

4. あおり運転の取り締まりについて考える

 

4.1 国家権力に望むこと

 

 日本は車社会である。安心して運転する為に、あおり運転をする悪質ドライバーを撲滅してほしい。これが、国家権力に望む一番の要望である。世の中の粗暴犯を大々的に取り締まれば、波及効果としてあおり運転も減少するだろう。将来的な視点からすると、教育現場での取り組みや法改正も必要である。ここでは、直接的にあおり運転を取り締まるような仕組みの草案を提示したい。

 現在、急速に普及しているドライブレコーダースマートフォンを積極的に活用する防犯インフラを設立することで、悪質運転を容易に取り締まれるようになるのではないか。あおり運転の被害動画は数多くあれど、今のところ、YouTubeや各種メディアの動画投稿サイトへ被害動画をアップする位しかできない。

 そこで、公的機関(警察組織が望ましい)が、そうした動画を投稿できるインターネット上のサイト(プラットフォーム)を開設するのである。悪質運転の動画を一元管理することで、個別の被害状況に加え、被害各々の関連性や実態が明確になる。複数の被害動画を解析することで、そこに共通する同一車両・同一人物が浮かび上がる。そして、その動画を証拠に、悪質運転常習犯を逮捕するのである。逮捕した犯人から徴収した罰金や保釈金を原資とし、当該サイトの運営や、ドライブレコーダーのさらなる普及化・高性能化をはかる。こうした連鎖をつくり出すことで、悪質な運転は確実に減少するだろう。もちろん、そうしたサイトを運営するのは、公的機関の役割である。個人が行うと、ほぼ間違いなく報復に遭う。そうしたリスクが少ない警察や公安関係省庁が、動画を活用した防犯インフラを整備する機関としては最適である。

 

 仮に、公的機関がそうした防犯サイトを作成しなかったらどうなるか。おそらく、既に存在しているかもしれないが、悪質ドライバーを告発する情報が集中するサイトが誕生するだろう。ある程度の情報が集まると、同一の車やドライバーが浮上する。何らかの「獲物」を探している反社会的な人々は、そうしたドライバーに目を付ける。悪質ドライバーは、反社会な人々の「餌食」になっても、多少のことでは警察に通報しない。警察を呼ぶと自分も逮捕されるおそれがあるからである。こうした2次的な犯罪を防ぐ為にも、公的機関が率先して、先に述べたような防犯インフラを整備することが望まれる。

 

4.2 自動車産業への影響はあるのか

 

 交通違反は、本来、刑事事件である。しかし、発生件数が多い為、刑事事件としての処理が追いつかない。そこで、道路交通法という特別な法律をつくり、事件の後始末を簡素化した。交通事故に起因する事件において処罰が軽く感じるのは、こうした公的機関サイドの都合による。

 また、日本の基幹産業は、言うまでもなく、自動車産業である。もし、交通違反を刑法犯として取り締まったら、ドライバーがどんどん減少し、車が売れなくなる。その結果、日本の自動車産業が衰退する可能性がある。交通違反への罰則が不十分に感じられる背景には、日本の経済産業的な事情もあるものと推測される。

 では、あおり運転を厳しく取り締まったら自動車産業に悪影響が出るだろうか。例えば、あおり運転の罰則を即時免停にするよう法改正を行う。すると、そうしたドライバーが車にお金を使わなくなるので、自動車産業にマイナスの影響が出ることが懸念される。しかし、悪質ドライバーが交通社会から除外されることで、自動車産業は、今以上に活況を呈するのではないかと考えられる。

 まず、悪質ドライバーは、推測の域を出ないが、所得水準は高くないものと推測される。可処分所得以上の金額を車につぎ込んでいる可能性が高い。よって、自動車産業全体への経済的なマイナスは少ないと思われる。むしろ、全国の道路上から悪質ドライバーが消え、自動車交通社会の安全性が向上することで、これまで車の運転に消極的だった人々が、車を運転しはじめ、車の購入や車を通した消費活動が活発になり、日本の経済全体が底上げされる、という展望も成り立つ。人間の消費行動と感情的な側面は、強くリンクしているからである。

 

5. 最後に

 

 今回の事件、あおり運転が何故ここまで注目されたのか。それは、あおり運転の被害に泣き寝入りせざるを得なかった人が、大勢いたからだろう。テレビに動画を投稿した人。それをテレビで放送する決定を下した人。放送を見て自分もと思い投稿した人等々。こうした一連のつながりの共通点は、理不尽なあおり運転の被害者という部分だろう。何よりも、社会的反響の大きさが、あおり運転の被害者の多さと、取り締まりへの社会的要望の強さを示している。

 これは、私の考えだが、あおり運転は、単なる車間距離不保持ではなく、加害者の被害者に対する人格の否定である。ゆえに、直接的な被害がないにもかかわらず、精神的ダメージが大きく、かつ、警察権力の行使を期待するのである。他の犯罪や事件では、被害者の人権にスポットが当たるが、あおり運転も、それらと同様であろう。他者を恫喝すれば刑事事件となるが、何故か車でこれをおこなっても微罪とされてしまう。かくして、被害者は、二重に人格を否定される。これまで黙殺されてきた、こうした感情が表面化し、社会現象となったのが今回の常磐道あおり運転事件だったのではないだろうか。

 

 あおり運転を行っているドライバーを自動車愛好家やスピード狂のように捉える人もいるだろう。しかし、悪質ドライバーとそうした人々は、似て非なる存在である。車愛好家なら、愛車を事故のリスクにさらすような運転は控えるだろうし、第一、自分の愛車が人を傷付けたり、他者から憎まれるのは不本意なはずである。ゆえに、車が好きな人種と悪質ドライバーは異質な存在である。悪質ドライバーは、車が好きなのではなく、車で弱者を威嚇するのが好きなのである。

 

 1件のあおり運転は、これまで見てきたように、その背後に様々な社会問題が存在する事実を暗示する。常磐道あおり運転事件は、風化を待ち一過性の事件としてしまうのか、それとも、重大な社会病理として真摯に向き合うのか、警察を含め政府・あるいは公的機関全体の日本社会の安全保障への取り組み姿勢を知る為の一種の試金石といえる。